ふーみんの無限世界

エッセイ、詩、小説の可能性を信じて

心の防御システム

自分のことはよくわかってるつもりで、気付いていないこともあります。
最近はほとんど言われなくなりましたが、私は時々どこか遠くを見ている感じがするらしいです。
子供のころはおそらくかなりひどかったのではないかと思います。
何を考えているのかわからない子供だと言われてましたから。
自覚したのは、韓国に住んでいた時です。
目の前で起きている出来事があまりにも辛くて、受け入れがたい時、私は意識を他へ飛ばしました。
もちろん目の前の人とは会話しないといけないし、現実には対処しないといけないので、完全に意識を飛ばすわけにはいきません。
わかりやすく説明すると、片方の目で現在の世界を見て対処し、もう片方の目では、別の世界を見ているという感じでしょうか。
これを私は、(自動運転)と呼んでいました。
友人は、それ、かなり危ないよ、と言っていましたが、意外に不便なことはありませんでした。
辛いことがあると逃げ場のように自動運転状態に入りました。
何度かしてきたことで、癖になっていたのか、辛くなくても軽い自動運転状態になっていることがありました。
そんなある時、トリップしてたでしょう、と言われたことがありました。
目つきでわかったそうです。
無意識でしていたことでしたが、相手に失礼だと思い、それ以降気を付けて、自動運転にならないようにしています。
今は幸いにも、自動運転に頼らなければならないような状況ではありませんが、自動運転よりももっとひどい状態になってしまう人の辛さをほんの少し想像できる気はします。
人の心とは不思議なもの。
辛い記憶は自動的に消失したり、事実と違うように記憶されたり。
私には消えた経験もあります。
バイクにはねられた時、事故の瞬間の記憶がありません。
事故の瞬間は目に映っていたはずなのに、どんなに思い出そうとしても思い出せません。
ぶつかる少し前までの記憶はあるのにも関わらずです。
消えた後は、青空と倒れている私をのぞき込む人々の顔が最初の記憶になっています。
心を衝撃から守ろうとする防御反応でしょうか。
物忘れに悩み、記憶力の悪さに苦戦したりと、人は毎日膨大な量の記憶を失います。
時にそれは不便なことではあるけれど、人に備わった大事な防御システムであるとも思います。