ふーみんの無限世界

エッセイ、詩、小説の可能性を信じて

一人ご飯

子供のころは両親と弟との四人暮らし。
父とは会話らしいことをした記憶はなく、些細なことで殴られたり怒鳴られたりで、大嫌いでした。
母はなんでも器用にできる人で、不器用な私をふがいなく思っていたようです。
弟は喘息がひどくなり転地療養のため、少し別居していた時期があります。
その当時は私は大嫌いな父と暮らし、母は弟と暮らしていました。
その時期を除いては4人暮らし。
でも、自分の家が嫌いでした。
家出もしたかったし、早く自立したかった。
大学2年の時、ようやく寮に入り、一人暮らし。
当初、あれほど家を出たかったというのに、やはり、一人というのは、心もとない感じがしました。
半年たたず、彼氏の家に入り浸りになり、その後大学卒業後、その彼と同棲、結婚しました。
子供が生まれ、五人家族となり、毎日毎日子育て、家事、そして障害のある子どもの療育に追われました。
その後、夫と別居。
息子三人との4人暮らし。犬を飼い始めました。
おまけに上二人の子供たちは友達も連れてきていたので、家の中に10人以上いるなんてことも。
毎日忙しく、あわただしく過ごしていました。
障害のある子がヘルパーさんやデイサービスに慣れて来てからは、仕事も再開し、ますます忙しくなりました。
それでも息子がアレルギー持ちだったこともあり、食事はほとんど手作り。
疲れていてもなんとか作っていました。
長男が独立し、次男、三男と3人暮らしに。あとわんちゃん。
次男にかなり助けてもらいながら、なんとか暮らしてきた日々。


そしてついに次男も独立。会社の寮に入りました。
三男はグループホームに。
私は愛犬と一緒に新生活へ。
喪失感のような気持ちがありましたが、愛犬に救われていました。
家に帰ると柔らかくかわいらしいものがいるというのは嬉しいものです。
老犬なので、おむつをし、それでも漏らし、部屋中汚れたり、なかなかなものでした。
けれど
亡くなってしまいました。
元夫と別居してから、ずっと子育てを見守って来てくれた犬でした。
まだ家に帰ると迎えてくれる気がします。


家族がたくさんいたときは、毎日の家事が山のようにあり、たいへんでしたが、今にして思えば、それすら支えになっていたような気がします。
誰かのため、に動くことは、巡り巡って自分のためだったように思います。


今、私は一人ですが、仕事でもなんでも、誰かのためになることは嬉しいことだとしみじみ思っています。
願わくは、また誰かと暮らしたいな。