ふーみんの無限世界

エッセイ、詩、小説の可能性を信じて

息子のグループホーム入所

この春21歳の息子がグループホームに入所しました。
息子は重度の知的障害を伴う自閉症です。
三人兄弟の末っ子で、これまで、私と次男とヘルパーさんでケアしてきました。
平日昼間9時半から3時半まで生活介護施設に通い、週末に空きがあるときは日中ショートステイや短期入所を利用。
私は平日は仕事していて、朝や夕方はヘルパーさんに息子をお願いしていました。
息子は駿宇といいます。
顔立ちの整った、人懐こい、愛されキャラです。
21歳。
自分の手元から離すことが少し早いのでは?と思わないわけではありませんでしたが、昨年グループホームに送る決心をしました。
一番の理由は、我が家の事情です。
駿宇は、一人で過ごすことができません。危険なことをしてしまったり、家から出たら帰ってこれなかったりするので、必ず誰かついていなければいけません。
危険なことというのは、水を飲みすぎてしまったり、口に入れてはいけないものを入れてしまったり、高いところから転落したり、などなどです。
とにかく普通に生活していたら考えられないようなことが、駿宇には危険だったりします。
排泄もだいぶん一人でできるようにはなりましたが、やはり介助も必要です。
私も年を取り、いつかは駿宇をどこかにお願いしなければいけない時がくることはずっと考えてきました。
私が60代になるころ駿宇は30代なので、それまでには、と考えてはいました。
それが、今、になったきっかけは、私の入院の経験でした。
駿宇が特別支援学校高等部を卒業し、生活介護施設に通い始めて半年ちょっと過ぎたとき、私は腎盂腎炎で入院しました。
入院と言われたとき、真っ先に頭に浮かんだことが駿宇のことでした。
とりあえず、次男に駿宇のケアを頼みました。
いつも頼んでいるヘルパーさんはサービス内容も時間も契約であらかじめ決められており、母親が入院したからといって時間外に頼むわけにはいかないからです。
一週間は入院とのことでしたので、ずっと次男に頼むわけにもいかず、駿宇の相談支援の方(介護保険ではケアマネにあたります。障がい者のケアマネです)と区のワーカーさんに電話し、駿宇を緊急一時入所させてもらう手配をしていただきました。
なるだけ本人が混乱しないように、いつも通っている生活介護施設に昼間は通い、夕方から夜は緊急一時入所施設で過ごすことになりました。が、緊急とはいえその日のうちには無理なので、次男が駿宇ケアをしました。
いつも見慣れているとはいえ、飲ませなければいけない薬のことや、明日からの入所の準備など、私からの電話による指示ですべて次男がしてくれました。
相談支援のかたとワーカーさんも、素早く動いて下さり、いつもお願いしているヘルパーさんの事業所と連絡をとり、普段の移動支援や居宅介護のサービスを生活介護施設と緊急一時入所施設との毎日の往復に変更してくださったりしました。
いろんな方に本当にお世話になり、私は無事治療を受けた退院できました。
その数か月後、私はまた入院することになりました。
顎下腺腫瘍で手術、入院は一週間の予定でしたが、術後血種のため再手術。入院がさらに一週間伸びました。
このときは、前もって入院する日がわかっていたので、駿宇は緊急入所ではなく、予約して短期入所、そして延長という形になりました。
前回同様、いろんな方の支援を受けましたが、特に次男は大活躍でした。
ヤングケアラーという言葉が頭をよぎりましたが、しかたありません。
コロナの第一波のときは、生活介護施設も使えなくなり、ヘルパーさんにもサービス入ってもらえなくなり、かといって仕事を休むわけにもいかず、私がいない時の駿宇のケアはすべて次男がこなしました。
普段も私が仕事で遅くなる時、早く出なければいけない時、そして私が通院するときなども次男頼りになっていました。
昨年大学院生だった次男の就職先が決まり、会社の寮に入ることになったとき、駿宇を一人で、厳密にはひと月前から計画されていたヘルパーさんのサービスもありますが、基本的には私一人で見ていくことは不可能だと思ったのです。
もし自分に万一のことがおきたとき、駿宇の安全が守れないのです。
そんなわけで、すぐに駿宇の施設を探すことになりました。
施設探しが簡単ではないことは知っていました。
私の住んでいるところは東京都内ですが、施設に入れた方の話を聞くと、かなり遠方の他県でないと入れない。それもかなり探さないとだめだと聞いていました。
思った通り施設探しは難航しました。
どこも、まず空きがないと言われ、何年待ちになるかわからない言われ、数十人登録して待っていると言われました。
一人ではとても探せなかったので、相談支援や区のワーカーさんにも頼みました。
ワーカーさんのところには、入所施設の情報が来ていることがあり、それを送っていただきました。
施設、ではなく、昼間は生活介護施設に通い、夜はグループホームに、とかねてから思っていました。
施設だけだと生活範囲が狭まり、本人にとっても社会との接点が減ってしまい、多様な体験ができないこと、そして万一虐待などが起きても発見されにくいことなどのデメリットがあると考えていたからです。
理想は今通っている生活介護施設に通える距離のグループホームでした。
そうすれば、通い慣れた病院、自宅への外泊、そしてなにより慣れ親しんだ人たちと離れずに済むからです。
住んでいた区にいくつもグループホームができ、その情報もいただきましたが、駿宇は対象外でした。
理由は重度、だからです。
介護支援区分という基準があり、駿宇は6でした。重いほうが大きい数字です。
住んでいた区のグループホームはほぼ区分4以下での募集でした。
つまり、排泄、入浴など基本的な日常生活が自立していること、が条件です。
グループホームは無理かもしれないと、施設も探しましたが、なかなかこちらも募集がありませんでした。
以前、重度訪問介護という枠を駿宇が使うことは可能といわれていたので、もしこのまま駿宇の行き先が決まらなかったら、重度訪問介護で駿宇の朝から就寝までをカバーしてもらうしかセイフティネットを張る方法がないかもと考えていました。
それでも100パーセントヘルパーさんに来てもらえる保証はありません。
重度訪問介護は介護単価が低いので、受けてくれない事業所も多いのです。
それに同性介護が基本なので、駿宇には男性ヘルパーが来てくれますが、家が狭く、私が帰宅したとき居場所や着替えに非常に困ることになります。
それでももし施設に入所できなかったら、そうなることも覚悟していました。
昨年の初夏、運よく新設されるグループホームが重度の知的障がい者の受け入れ可能との情報が、区のワーカーさん経由で入ってきました。
場所も千葉で、東京からそれほど遠くはありません。
さらにそのグループホームから、昼間は生活介護施設に通えるとのこと。
早速申し込みました。
本人を連れて面談に行き、様々な書類や資料を提出し、審査に数か月要しましたが、入所できることになりました。
本人が適応できなかったら?職員に虐待されたら?ほかの入所者さんとうまくやっていける?
心配すればきりがありませんが、このまま駿宇と二人で暮らしていくことの危険性を考えれば、もう進むしかありませんでした。       
                          つづく